LGBTとかなんとか 自分、世間が望むものと《幸せ》
日常生活ではこんな会話にばかり遭遇する。
「彼氏いないの?」
「何歳で結婚したい?結婚願望ある?」
「子どもは何人欲しい?」
精神が元気な時はまあスルースキルを発動出来るのだが、そうでない時は本当に心に堪える。恋愛感情があるという強引な前提も飽き飽きだ。
私はヘテロセクシャル(異性愛者)ではないのだろうと思う。好きだなと思う人が好きなので、彼氏という言葉を出されるとまあ辟易する。でも同性が好きなんでしょと言われるとそれも何だか…となるので私は面倒な人間なんだろう。上記の会話の中では裏返しに〜でなければならないという意味を感じさせる。なんなら女性は〜、男性は〜だ。という口調も好きになれない。(ひな壇のバライティ番組、特にさんま御殿にありがちなミソジニーがしんどい「THE Wが面白くない」のは女芸人のせいじゃない! お笑い界とテレビの男尊女卑体質が女芸人を歪ませている (2018年12月25日) - エキサイトニュース)ワードの檻に閉じ込められる感覚がある。でも言葉がないと不便だ。言葉は便利だ。
きっとよく聞くLGBTLGBT - Wikipediaとやらなのか?と思いそういった集まりに参加してみたことがある。駅に集合とのことで知り合いも一人もいないし不安で仕方なかった私は、集合の30分前にはその場所に着いてしまった。どんな人がくるのか、上手く空気に合わせられるか話せたり聞いたりたのしめるだろうか。大体の人間が揃った時にある人物からこう言われたのだ。
「今日は女性が多いんですねぇ〜」と。
どこまでいってもそんなものなのかとその時ちょっとした絶望感を味わった。うわー、もう帰りたい。帰りの電車に乗ってしまいたい。
また、5人グループくらいで話している時に目の前に座っていた人からカードゲームを始める際に「じゃあ、そちらの女性陣からどうぞ」と。
これはもしかして、
セクシャルマイノリティのマイノリティ?
理解がありそうにみえるコミュニティーいるからといっても変わらないんだ。皆がみんな日常にひそむトゲを気にして生きているわけではないんだ。どこまでも性別がついてくるのか!私は女性であることが前置きにあるのか。「女性である」ということを期待されているのか。
女だから、女らしく、女のくせに。
男のくせに、男らしく、男として。
結局は見た目がどの性別に見えるか(=パス度パス度をあげるにはどうしたらいいの? [セクシュアルマイノリティ・同性愛] All About)がその人の性別なのかなと今では思う。
自分の元々の性別から離れてみよう!胸さえ無けりゃ少しは女性から遠ざかるかなどと思ってナベシャツなどというものも買ってみた。
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着てみたはいいものの、苦しい。そりゃそうだ、無理やり押さえつけないといけないものだから…
冬は結構着たのだが、夏場を想像しただけで地獄。シスジェンダー、トランスジェンダーともXジェンダーともヘテロセクシャルともバイセクシャルともレズビアンとも何にもなれない何にも定義できない自分がいる。こんなどうにもならない、だからといってどうもしないことを考える。お手洗いは生まれてきた性別とされた方を使うしアンケートの性別欄が男・女のみならどちらにも丸したくない気持ちをグッと押し込んで便宜上右側を丸する。違和感より面倒くささをとっている私は卑怯なのかもしれない。抗うつもりはない。エネルギーの要ることはなるべく避けたい。早く時間が過ぎて欲しい。でも街中で男性にみえる人と女性にみえる人が仲良く並んでいたらカップルかな、なんて勝手に考えるし。じゃあ私はクィア(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/クィア)!!とも胸を張って言えない。Twitterのプロフィールには書けないのでセクマイ垢!(L)GBT 中性 タチ寄りのリバ#セクマイさんと繋がりたい #LGBTさんと繋がりたい #LGBTQさんと繫がりたい とかできない。
人は所詮一人なんだ、死ぬ時は一人なんだとも思うけど「ひとりがいいです」~ヒロシが語るソロキャンプ : トピックス : ニュース : 読売新聞オンライン幼い頃から刷り込まれた一緒にいて楽しくて、好き合う人と一緒にいたい《ありがち》な欲もある。セーラームーンならうさぎと衛、はるかとみちる、フルーツバスケットなら夾と透。NANAならナナとレン。花より男子ならつくしと司。カードキャプターさくらなら小狼とさくら。桃矢と雪斗。
世間の思う幸せの形に自分がはまりたいから《ずっと一緒》欲なのか?
はまれば煩わしいことを聞かれることも説明もしなくていいし傾奇者扱いも面倒だし。でもそれにパートナーを付き合わせるのは利用していることになるんじゃないか…いや好きなら一緒にいたいと思うものだろとか。
ゴールデンボンバーの幸せな歌が結構印象深い。
《幸せ》の形がよく掴めない自分には《幸せ》を知らないとも言うことができないなあ。
けれど僕は《幸せ》がわからない になりそう。
幸せな歌
幸せな歌, a song by GOLDEN BOMBER on Spotify
作詞作曲:鬼龍院翔
幸せな歌を歌いたい
けれど僕は幸せを知らないゆっくりと流れた季節の中
諦めたものは
あの人か 僕の夢か
今夜はあなたを忘れたい
胸に残るこの想いも
風に乗せ消えてしまえばいい
いつか二人 分かり合える
幸せな歌を歌いたい
けれど僕は幸せを知らない
セックスの歌とか歌いたい
けれど僕はした事がない
やっぱり駄目だった僕らだけど
巡り合えて良かった
辛いのにそう思うよ
できればあなたを奪いたい
たとえ今は戯言でも
眠れぬくらいなら 愛せばいい
もう一度会うその時には
幸せな歌を歌いたい
けれど僕は幸せを知らないんだ
同棲した歌とか歌いたい
けれど僕はした事がない
幸か不幸か、した事がない
"幸せな歌"の主人公の僕は幸せ(僕の中での)を体験として味わったことがない(=知らない)けど、幸せの形は自分の中に確かに存在している。その意味なら幸せを知っていると言えるのでは。幸せの形をもっているから幸せ…かは分からないけど。なんて屁理屈ばかり思い浮かんで、老いていくよ。